バズれ!ラボラトリーズ!!

世界は狭い、そして広い。どっちやねん。

冬は寒い

最近めっきり寒くなってきたね。
冬が寒いのは地軸がこう、ちょっと傾いているからなんだ。
つまり地軸の傾きをまっすぐフラットな状態にできればこの寒さとはおさらばだ!

ま、冬は冬で寒いから、お鍋が美味しかったりするわけだ。布団の中でぬくぬくできるのは寒いからだし、こたつに入ってテレビ眺めながらダラダラできるのも冬だけだ。

なんというか、冬の、部屋を暖かくしてゲームしたり漫画読んだりテレビみたりしてダラダラ過ごすという非生産的な時間もいいもんだねー。
これが夏だと趣が違ってくる。冷房の効いた部屋も好きなんだけどね。

冬の部屋のぬくぬく感というものは、なかなかどうして、とても魅力的だと思うのです。

今年も冬を満喫するぞっ。

常識は常識じゃない

最近、「スマブラチュートリアルもなくて初心者に不親切」とか「動かし方がわからない」だとかいう意見を見た。

なるほど、確かにゲームをよくやっている人なら「スティックを倒せばキャラが動く」というのはもはや常識で、そんなことがわからない人などいるはずがないと思ってしまう。
しかし、わからない人はそもそも「スティックってなに?」となるのだろう。

むかし、任天堂のホームページに『社長が訊く』というインタビュー企画があった。その中で、初心者への配慮について語られていた記事があるとネットで紹介されていた。

波多野
「その通りです。
そういう混乱状態が
だんだん深くなっていったような気がするんです。
もっと極端な例を挙げますと、
初めて『脳を鍛える』を購入されたお客さんが、
家に帰って、さっそく遊んでみようと
パッケージを開けてみたところ、
中からちっちゃいのが出てきた、とおっしゃるんです。」

岩田
「パッケージの中には
ソフトが入っているのが当然ですよね。」

波多野
「ところが、その方は
ハードを持っていらっしゃらなかったんです。」

岩田
「ああ・・・。」

波多野
「「どうやって遊ぶんだ、これは」と。」

岩田
「そのお客さんは、
ハードを買わなければいけないことを
ご存じなかったんですね。」

https://www.nintendo.co.jp/etc/osagashi_guide/interview/vol1/index2.html

特に、とても小さい頃に教えてもらって出来るようになった事は、「教えてもらった」ということを忘れがちだ。そして、教えてもらっていない人に出会った時に、「なんでこんなことが出来ないんだ!非常識な!」と思ってしまう。
しかし、それはその人が非常識なのではなく、教えなかった人が非常識なのだとも言えるのだ。

「叩かれて育った子供は、自分の子供を叩くようになる」とよく言われる。これは自分が育てられたようにしか子供を育てる方法を知らないからだ。
知らないことは知らないし、教えてもらわなければ出来ないのが当たり前なのだ。

もしも、あなたがこれからの人生で「こんなことも知らないのか。非常識なやつ」と思うような人や場面に出くわしたとき、いきなり批判し、否定するのではなく、よくよく思い返してみてほしい。それは誰かに教えてもらったことではなかったのか?だとすれば、今度はあなたが教えてあげる番だ。

知らないことは知らないしできない。

常識だって、実は常識ではないのだ。

冷蔵庫の中身は遺伝する

誰かが言ってたことなんだけど、冷蔵庫の中身は遺伝するんだって。
生物学的な話じゃなくて、どちらかというと社会学とか経済学の話なんだけどね。

冷蔵庫の中に高級品が常に入っていた家で育った子は大きくなると自分も高級品を冷蔵庫に入れる。それが当たり前だったから。
反対に冷蔵庫の中にはもやしばっかり入ってるようなおうちの子は同じくもやしばっかり入れる。

これはあくまでも例というか仮定の話で、この説は何が言いたいかというと、経済感覚は親に似るということらしい。

知らず知らずのうちに親の影響を受けてるものなんだなー。

くだらない自己啓発凡なんか読まないで『学問のすすめ』をすすめ!

今年出会ったものの中で一番を挙げるとすればアニメ『宇宙よりも遠い場所』か、福沢諭吉学問のすすめ』だ。
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僕は恥ずかしながらこの歳になるまで『学問のすすめ』を読んだことがなかった。名前も著者も始まりの一文も知っていたが中身については全く知らない本だった。なんとなく、難しくてお堅い本なんだろうなと思って敬遠していたのだ。

しかし、本当にたまたま、書店で『現代語訳学問のすすめ』という本を見かけたとき、どういうわけか「買ってみよう」と思ったのだ。おそらく気が動転でもしていたんだろう。現代語訳なら読めるかも知れないと思ったのかもしれない。

「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」
この文を知らない人は少ないだろう。学問のすすめはこの一文から始まる。
ようするに、「人は生まれながらに平等だ」という意味の言葉だ。
だが、諭吉はすぐにこれを否定している。でも現実には金持ちもいれば貧乏人もいる。愚か者もいれば賢人もいる。全く平等じゃない。と。
そして、生まれながらに平等であるはずなのになぜそのような差が生じるのか。それは学問をしているかしていないかだ。と続ける。受け取り方は様々だけれど、僕は「金持ちや権力者になりたければ勉強して学問を身に付けろ」と言われている気がした。

諭吉の言う学問というのは本を読んだり、数学の問題を解くということだけではない。学んだこと、知ったことを実生活で発揮し、社会に立ち向かうところまでを指している。いくらたくさん本を読んだところで、それで生活や社会が改善されなければ意味がない、と。

学問のすすめというと著者は福沢諭吉で、福沢諭吉といえば慶應義塾現代日本の私立大学で絶対的トップとして君臨し続けている慶應義塾大学創始者だ。
そんな人間が書く本だからとても難しいのではないかと普通は思う。だが、この本は『学問のすすめ』のタイトル通り、まだ学問を志していない僕たちのような一般の人々に向けた本だった。だから諭吉はなるべく分かりやすく、簡単な例をたくさん用いて「勉強した方がいいぞ!」と言っている。そして、学問のすすめに書かれている考え方や、社会に対する姿勢は今の日本にこそ、ガッチリと当てはまり、必要とされているものばかりだ。


世の中には「成功するためのメソッド」や「新時代の働き方」のような心踊るキャッチコピーを掲げる自己啓発本、ビジネス書が溢れかえっている。
だが、僕は声を大にして言いたい、

「そんなもの読むよりまずは学問のすすめを読め」と。

なんせ、僕もこれを読んでからあと10年は早く読んでおけば良かったと思ったくらいだ。
明治時代に書かれてから100年以上経った今も残り続けているだけある名著だ。日本で最も価値のある(1万円)人物だというのも頷ける。

スマブラスペシャル本日参戦!

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大乱闘スマッシュブラザーズスペシャル』が発売された。僕は「あらかじめダウンロード」というのを使っていたので、12月7日の深夜0時、日付が変わると同時にプレイすることができた。
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いち早くプレイしたいからダウンロード版がいいけど、今回はパッケージも欲しい!ということでマイニンテンドーストアでダウンロードコード&パッケージセットを注文していたのだ。

スマブラを初めて起動したときに、「スピリッツ」呼ばれるキャラクターを1体(1人?)ランダムでもらえます。僕のところには3DSのゲーム『エバーオアシス』の主人公、トト君が来た。

さっそくアドベンチャーモード【灯火の星】をちょこちょこプレイ。マップが広すぎる。
あとスマブラforWiiUからしばらくやっていなかったので操作法を忘れ、僕のカービィがマリオにボコボコにされてた。ごめんよカービィ

夜も遅かったので全然やれないまま就寝。
またじっくりやっていこう。

神様と悪魔の証明

昔(と言っても去年くらいの昔)、中学生の男の子に「神様はいると思うか?」と尋ねられた。

なるほど、なかなか難しい問いだ。「いない」と言えば悪魔の証明、つまり不存在を証明しなくてはならない。

「ない」ということの証明は、場合によっては「ある」ことの証明よりも遥かに難しいものだ。絶滅が確認された動物が何十年も経って、「どっこい生きてた」ということもあるのだ。いや、そもそも「絶滅の確認」なんて可能なのか。そういえば昔、「透明人間の確認」なんてコントがあったなあ。

と、ここまで考えてよくよく質問を思い返してみると、「いると思うか?」と聞かれていた。「いるのか?」でなく「いると思うか」、つまり存在を信じるか信じないかを問われていたのだ。

それがたとえ存在しなくても、存在を信じることはできる。だから大事なのは「いてほしい、有ってほしいと君が願うかどうか」なのではないだろうか。

昔話に出てきたトロイの街を信じ続けたシュリーマンはついにトロイ遺跡を発見した。トロイはそれまで誰も実在を信じていなかった街だ。

人の信じる力、願う力は、強い力を発揮するのかもしれない。「思う一念岩をも通す」という言葉もあるくらいだ。

僕はそうだなあ、いてほしいと思うかな、神様は。

どこでもドアが実現したとして

さてさて、2回目にしてすでに何を書こうかなぁ状態である。そういうときは取りあえずドラえもんひみつ道具の話題にしておけば間違いない。

ということで今回はオーソドックス、王道中の王道。おそらく日本で最も有名なトビラであろう「どこでもドア」について、わりと真面目に考えてみようと思う。
と言っても科学的なことはわからないので、どこでもドアが発明されたときの立ち振舞いについて、考えていく。

まず、どこでもドアが発明されたとしても、きっと10年、下手をすれば20年くらいは我々一般人には手が出せない値段のはずだ。家や飛行機や、もしかしたら宇宙船よりも高額になるかもしれない。そのくらいどこでもドアには価値がある。今まで東京から大阪まで新幹線で2時間以上かかっていたのがわずか1秒になってしまうのだから当然だ。開発費とかそういうことではなく、もうその「移動時間を無限に省略できる」という価値にものすごい値段がつくのだ。そうなれば、車も電車も飛行機も、今後一切必要なくなるのだ。高級車程度の値段で売るのはあまりにももったいない。

というか、そもそも、もしも僕がどこでもドアを発明したなら、きっと誰にも売らない。駅前にズラっと10台くらい並べて、使用料を取って使わせる。きっと一回10万円でも毎日たくさんの人が使いにくるはずだ。だって東京ー大阪間が1秒だ。
どこでもドアを開発するのが三菱かホンダかはわからないけど、日本だとたぶんこのどっちかなんじゃないかなあ。どっちにしてもきっとどこにも売らずにこの方式でやるのが一番儲かるだろう。電車や飛行機と違って運営ノウハウも必要ないわけだし。

だからこそ、JRや阪急や東急みたいな鉄道会社はどこでもドアの開発には絶対にお金を出してガッツリ関わって、完成したら半分くらいドアをもらえるようにしておかないといけない。ホンダや三菱がどこでもドアで商売を始めてしまうと、将来確実に電車に乗る人はいなくなるからだ。
「どこでもドアは我々鉄道のライバルだ」なんて意地を張ってるとあっという間に倒産の危機。車や飛行機なんかと同じ感覚で対応してはいけない。
「電車の扉をすべてどこでもドアにします!」くらい思いきらないといけない。鉄道会社の強みは人の集まる大きな駅を持っていることなんだから、駅にどこでもドアを設置しまくって、なんなら行き先は反対側のターミナル駅(南海なんば駅和歌山市駅)限定、みたいにするのもいいかもしれない。

影響を受けるのは鉄道会社だけじゃない。バス会社も郵便局も宅配便も、なんなら旅行会社やアマゾンも。「物の移動」に関わるすべての会社や人がどこでもドアによって得をしたり仕事を失ったりするのだ。

だからこそ僕たちが今考えなければいけないことは、「どこでもドアで行きたい国」なんかじゃない。「どこでもドアが出来たときにいかに生き残り、利益を得るか」だ。