バズれ!ラボラトリーズ!!

世界は狭い、そして広い。どっちやねん。

地方のド田舎はせめて最低賃金くらい東京に勝て

この国には最低賃金なるモノが存在する。
「これだけ働いたら最低でもこのくらいは支払われる」という法的な基準で、給料をこれよりも低くすることは許されない。

そしてこの最低賃金、実は国で統一されているものではなく都道府県ごとに定められているのだ。
つまり、地域によっては同じだけ働いてももらえる額に差が生まれるのだ。

では実際にどのくらいの差があるのか、厚生労働省が掲載しているデータを見てみよう。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/

日本で最も最低賃金が高いのは東京都(985円)。そこに神奈川県(983円)、大阪府(936円)が続く。
900円を超えているのはこの人口TOP3の都府県だけだ。

そして最低賃金全国最下位は、鹿児島県(761円)
トップの東京との差額は何と224円!
同じコンビニバイトでも一時間でハンバーガー二つにおつりがくるほどの差が出るのだ。
一日八時間働くと1792円、一カ月(20日換算)でなんと3万5840円になる。
東京でバイトするだけで鹿児島と比べてニンテンドースイッチ一台分お得なのである。

しかし問題は鹿児島県(761円)だけではない。
ここ以外の九州各県(福岡除く)、つまり

大分熊本佐賀長崎宮崎沖縄、なんと全て同じ762円なのだ!

鹿児島県(761円)と一円差で最下位は免れているものの、九州地方はそろいもそろって全国最低水準だ。
じゃあ福岡県はマシかと言えば、むしろより一層ヤバイ感じに溢れている。

福岡県の最低賃金、・・・814円
おお!数字的にはそんなに悪くない気がする!

さて話は変わるが、最低賃金の全国平均はご存知だろうか。厚生労働省は加重平均なるものを出しているが、ここでは普通の平均額を採用する。その額、815円。・・・おや?


福岡、平均以下やないかい!!
おめー、政令指定都市二か所もあって、今や三大都市に迫る勢いとか、福岡市が神戸市の人口抜いたとか言われてるくせにお前!九州の最大都市福岡県が、平均以下!
こう言っちゃなんだが滋賀県(839円)よりも低いのだ。
あんな琵琶湖しかないようなところに・・・

だが、最大都市でくくるならもっとヤバいのはお前だぞ宮城県(現東北地方盟主)
何だよ798円て!800円すら届かないのは不味いぞ!
なんてったって仙台市よりも人口の低い富山県(821円)や山梨県(810円)、和歌山県(803円)みたいなド田舎よりも低いんだからな。
まあ、市より人口の低い県ってのも中々のヤバさを醸し出しているけれども。

東北一位の宮城県がこれなのだから東北地方の平均はさぞヤバイのだろうと思いきや、なんと769.8円。
いや、十分低いんだけどね。これよりもさらに平均の低い地方があるのだ。
それが、九州地方(762.7円)
・・・なんだ、こういうと東北に失礼だが、福岡県と宮城県で比べると福岡の方が高いのに、何故に負けるのだ九州よ。
もちろん四国や北陸、関西よりも低く、名実ともに賃金最弱集団でございます。




「田舎は物価や家賃が安いから」というのが最低賃金の低さによく使われる言い訳だ。
とはいえ、福岡や宮城よりも滋賀や富山の方が都会度が高いかと言われると、イメージ的にはやはり、福岡や宮城の方が都会っぽい。
なんせ政令指定都市があるわけで、人口も多いし、旧帝大だってあるんだし。

それに、物価が安いと言ったって、じゃあビッグマックの値段が変わるのかと言えば全国一律390円だ。
電車賃だって、都会の方が利用者が多いからその分安い場合がほとんどだ。
フェスやコミケのようなイベントは首都圏や京阪神がやっぱり多いから、近場に住んでいれば交通費も宿泊費もかからない。
東京や大阪から離れれば離れるほど、田舎になればなるほど、遊ぶところはないし、お店もないし、閉店も早いし、イベントもなく、電車もバスも少なくて、都市へ出るのに何千円も必要になる。

批判されるかもしれないが、今時の若者にとっては田舎に住むという事自体、世の中の不便を濃く煮詰めて抽出した、デメリットの塊。
物価や家賃では補え切れないほどのハンデがあるのだ。
ただでさえそうなのに、賃金まで安いなんて仕打ちをするなんて、そりゃ若者でなくても逃げ出すに決まってる。

だから、「物価が」とか「地価が」とか言い訳を並べる前に、せめて最低賃金くらい東京や大阪と並ぶようにしなければ、田舎はどんどん人が減っていく。

「不便だけど賃金は東京の倍です」くらいでやっとイーブンなんだからさ、感覚としては。

なんというか、福岡県と宮城県はもっと反省しなさい!
ついでに他の九州各県もな!

今年もやります!

僕が日課のように訪れている『ほぼ日刊イトイ新聞』(https://www.1101.com/home.html)というサイトは、とある世代にはあまりにも有名な糸井重里という人が主催しているネットの老舗。(1998年に開設され今も続いている)

このサイトで、なにかイベントをしたり季節限定のものを販売するといった記事の見出しに、

「今年もやります!◯◯◯◯!」

というものがよく使われている。僕はこの一文、すごくいいキャッチだなぁと思うのです。

「今年もやります」というとてもとても短い文のなかには、それを見た人に「毎年恒例の行事なのかな」だとか「人気あるんだなぁ」とか、「もうそんな時季か」のような、とてもとてもたくさんの感情や感想を、瞬間的に思い起こす情報力が詰まっているのだ。本当に「いい言葉だなぁ」と感心しちゃう。
おそらく「今年も」、特に「も」の部分がいい仕事をしているんだろうと僕はニラんでいる。「今年も」というからには、「去年もやったんだろうなぁ」や「来年はやるのかな」と過去や未来へ想像が広がる。楽しいイベントや素敵なアイテムと、過去から未来へ広がる時間が相まってとてもポジティブな気持ちになるのだ。
それと、瞬間的に意識を過去へ向けることで、はじめてのお店や物やイベントでも、まるで昔から知っていたかのような「馴染み感」が出るのだ。

毎年恒例の季節限定といえば、似たようなものに

冷やし中華はじめました」

という有名な言葉があるけれど、なんというか、少し味気ない。だから、

「今年もやります!冷やし中華

ほら、グッと魅力が増したでしょ?

ということで、今年もよろしく!

なぜ誕生日を祝うのか

僕は誕生日で自分からワーキャー騒ぐのはどう頑張っても20歳くらいまでだと思っていた。しかし意外と20歳超えてもバースデーで嬉しくなる人もいるものだ。
もちろん、人から祝われたり、人を祝ったりするのはとてもいいことだ。ただ自分から「今日は誕生日だ」とワーキャー騒ぐのはどういう心理なのだろうかと思うわけだ。

そもそも、なぜ誕生日にお祝いをし、ケーキを食べたりプレゼントをもらったりするのだろうか。

思い返せば誕生日を祝ってくれたのは親や祖父母だった。ここに誕生日を祝う文化のルーツがあるのかもしれない。

七つまでは神のうち」という言葉がある。小さな子どもは死にやすいということからできた言葉だ。昔、子どもの生存率は医療水準からしても決して高くはなかった。だからこそ端午の節句や桃の節句、七五三といった子どもの成長を祈り、願い、祝う文化が生まれたのだろう。

そう考えると、誕生日というのは我が子が一年間無事に生き延びた記念すべき日なのだ。死亡率がとても高い、いつ死んでしまってもおかしくない中、一年生きた、その喜び。「また誕生日を迎えられたね、頑張ったね」と誉めてあげたいくらいだろう。

つまり誕生日というのは、生きているだけ、ただそれだけで誉められ、祝われる日なのだ。普段から「呼吸するだけで誉めてもらいたい」と言っている人にとってはまはしく願望の叶う日だったのだ。

だからこそ僕は二十歳で無事に成人したんだし、そこまで頑張って祝うの必要はなくないかとも思うんだけどね。

社会は崩壊する

みんな忘れがちだけど、社会制度は永遠に不変ではない。山の天気や乙女心と同じように突然変わってしまうものだ。

今日本に生きているほとんどの人は戦後に生まれ育ったわけだから当然だけれど、今の社会制度しか知らない。そして、だからこそ、今の社会がまるで大昔からこの形でこれからも続いていくと錯覚している。議会制民主主義で、司法・立法・行政の三権が分立していて、天皇は国民統合の象徴で、自由主義かつ資本主義の経済。それが、今の日本の社会の根幹だ。誰もこれが普通で不変だと思ってしまっている。
しかし、この社会制度はまだ70年ちょっとの歴史しか持っていない。任天堂やシャープよりも歴史が浅いのだ。

振り返ってみると、日本の社会制度は頻繁に、ガラッと変わっている。平安時代天皇を中心とした貴族社会で、約400年続いた。その後武士が実権を握り、鎌倉時代に突入する。御恩と奉公でお馴染みの封建主義の社会だ。この時代に形作られた社会制度は室町時代の後半、戦国時代になるまでだいたい250年くらいは実質的に続く。

そして関ヶ原の合戦後に江戸時代が始まる。徳川家を中心に各地に大名が配置され、それぞれが独立して国を持つ、いわば合衆国のような制度が採用される。これが265年間。そして、1867年に大政奉還がなされ、武士の政権は終わりを告げる。
武家政治でくくるならおよそ650年に及ぶが、社会の基礎制度は頻繁に変遷している。

明治維新後、天皇が再び政治の中心となるが、それも第二次世界大戦終結するまでの約80年だ。

さて、現行の社会制度になっておよそ70年。明治から始まる旧日本社会がたったの80年で幕を閉じたことを考えれば、もういつこの社会が崩壊してもおかしくないのだ。

今、史上最長の好景気らしいけど

日経にこんな記事があった。
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO38869150T11C18A2MM0000?s=0

これによると日本は今、戦後最大の景気拡大期にあるらしい。つまりまあ、比較的好景気だと。
うーん、好景気かぁ。実感があるかと言われればそうでもないなぁ。

経済学のダメなところはそういうとこだと思う。まず、今が好景気か不景気かってことは、かなり後になって色んな数字を見ないとわからない。しかも数字を見て、それをもとに何人かで話し合って、「ではこの期間は好景気だったということに」的な決め方だ。あ、これはすごく、ものすごくざっくりとした超簡単な表現になっております。

とにかく、こう、科学的かと言われるとそうでもないのだ。

ニュートンが登場する前の物理学のレベル

と言われるゆえんだ。
だって経済学の偉い先生が
「結局のところ、景気なんて気持ちの問題なんです。みんなが好景気だと思ってバンバンお金使ってりゃ好景気なんです。

景気の気は気持ちの気なんですから」

って言っちゃうような学問だぜ?

お金だってそうだ。金融学の講義で一万円札を取り出して、
「皆さん、なぜこんな紙切れが1万円の価値があるかわかりますか?それは、

皆が一万円の価値があると思っているから

なんです」

なんておおらかな学問なのだ!経済学というものは!気持ち、思い。そんなもので出来ているのだこの世の経済は!

だからこそ、世の中を駆け巡る経済の情報には注意しないといけない。経済とは気持ちの問題なのだ。人の心が秋の空と同じように移り変わりやすいものであるのだから、絶対ということはないのだ。

そういえば、「経済効果」だって胡散臭いよなぁ。そんな効果実際に体感したことないよ。ドップラー効果の方がまだ信じられるもの。
結局のところ、経済学なんかまだまだ占いみたいなものなのだ。
アタルモハッケイザイ、アタラヌモハッケイザイ...

筋肉がほしい

僕の好きな芸人さんに【なかやまきんに君】という人がいる。僕が彼のことをはじめて知ったのはたしか吉本新喜劇だったはずだ。

とにかくあの、爽やかで暑苦しい芸風と、滑り倒してもとにかく明るくポジティブな彼の姿がとても好きだった。「誰も傷つけない笑い」があるとすれば、彼のような芸風なのかもしれない。

そして、なぜきんに君があんなにポジティブなのか考えると、やはりあの筋肉だろうという結論に至った。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」を体現したような存在なのだ。

滑ろうが怒られようが筋肉がすべてを解決してくれるという安心感。僕もぜひとも身に付けたい。

人の特性

寒い。しかし世界にはもっと寒い所に暮らしている人もいる。北海道とかロシアとか。
やっぱりそういう所に生れた人は寒いということが当たり前の環境で育ってきたから、我々のような南国育ちよりも寒さに強いのだろうか...

ヒトの生き物としての特性は知恵でも器用な手先でもなく「適応力」だという意見を聞いた。これを言っていたのはもちろん昼間から呑んだくれてるような公園にいたおじさんだ。偉い博士ではない。でもそういうおじさんに限って時々面白い説を唱えたりするもんだから侮れない。

とにかくヒトという生き物は適応することによって繁栄してきた。寒ければ服を着て、食料確保のために農耕や牧畜を始めた。病気になれば薬を飲み、土地がなくなってきたら上へ下へとすみかを拡げてきた。言葉を作り、文字を考えてコミュニケーションをとれるようにしたり、水や火を電気に換えた。

これはすべて、環境と時代に適応するためだったんだ、とおじいさんはガバガバとお酒を飲みつつ語った。

そういえば、「依存」も適応の一種だって聞いたことがあるなぁ。