バズれ!ラボラトリーズ!!

世界は狭い、そして広い。どっちやねん。

なぜ誕生日を祝うのか

僕は誕生日で自分からワーキャー騒ぐのはどう頑張っても20歳くらいまでだと思っていた。しかし意外と20歳超えてもバースデーで嬉しくなる人もいるものだ。
もちろん、人から祝われたり、人を祝ったりするのはとてもいいことだ。ただ自分から「今日は誕生日だ」とワーキャー騒ぐのはどういう心理なのだろうかと思うわけだ。

そもそも、なぜ誕生日にお祝いをし、ケーキを食べたりプレゼントをもらったりするのだろうか。

思い返せば誕生日を祝ってくれたのは親や祖父母だった。ここに誕生日を祝う文化のルーツがあるのかもしれない。

七つまでは神のうち」という言葉がある。小さな子どもは死にやすいということからできた言葉だ。昔、子どもの生存率は医療水準からしても決して高くはなかった。だからこそ端午の節句や桃の節句、七五三といった子どもの成長を祈り、願い、祝う文化が生まれたのだろう。

そう考えると、誕生日というのは我が子が一年間無事に生き延びた記念すべき日なのだ。死亡率がとても高い、いつ死んでしまってもおかしくない中、一年生きた、その喜び。「また誕生日を迎えられたね、頑張ったね」と誉めてあげたいくらいだろう。

つまり誕生日というのは、生きているだけ、ただそれだけで誉められ、祝われる日なのだ。普段から「呼吸するだけで誉めてもらいたい」と言っている人にとってはまはしく願望の叶う日だったのだ。

だからこそ僕は二十歳で無事に成人したんだし、そこまで頑張って祝うの必要はなくないかとも思うんだけどね。